「千人に一人でも」
ヘブライ人(?)の若者エリフが、ヨブと友人3人の議論を踏まえて説教。
エリフはあまりにもかみあっていない議論を聞いた上で、ヨブに説教する。ポイントは3つ。
〇ヨブが神に呼びかけても答えてくれないと嘆いているが、それはヨブが高慢だから。それゆえ、もっと自分を低くしなければ救われないと語る。
〇苦しみはそれ 自身の中に救いの教育的な意義がある。 「神は貧しい人をその貧苦を通して救いだし~」(36:15)と 神は「教師」(36:22)として人間を鍛える。預言者イザヤは 「わたしは苦しみの炉の中でお前を試みる。」(48:10)とエリフ と同じ見方を語っている。
〇神と人間の間に立つ、「執り成し」の天使を語る。この存在は 「通訳者」として国語を異にする甲と乙の意志をせしめる者であり ~」(「ヨブ記」浅野順一著岩波新書159頁)と言われる。
エリフは「千人にひとり」であり、それは地上の誰かではなく、天の存在でなくてはなくてはならないと語る。わたしたちは、「千人に一人」ではなく、唯一の「執り成し」主として、救い主イエス・キリストを与えられ、この方により、「贖われ(十字架)」て、新たな命(復活)に生きるもの(義人)とされる。
このことは、「御子は我ら罪人の救いのために人となり、十字架にかかかりひとたびおのれをまったきいけにえとして神にささげ、我らの贖いとなりたまえり。神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。」と日本基督教団信仰告白で告白している。
私たちはこの告白に生きるものでありたい。