「命の導き手」
「命の導き手」を殺したイスラエルに、悔い改めて、救い主イエスに立ち帰ることを求めるペトロの説教。 エルサレム神殿の参詣人に施しを乞うために「美しの門」に置かれていた「生まれながら足の不自由な男」が ペトロとヨハネにより「完全に」いやされた。それは「ナザレの人イエス・キリストの名」による救いの出来事であった。 その後、ふたりに「つきまとい」全身で喜びを発信する男の有り様に非常に驚いた民衆(エルサレム神殿の礼拝者)に ペトロが説教をする。 ペトロは自分たちが誰かを明らかにする。 イスラエルがローマのユダヤ総督ピラトに要求して「命の導き手」である方を十字架で殺害したが、神はイエスを 「死者の中から復活させ」た。自分たちはそのことの証人である。 次にイスラエルの罪が指摘される。 イエスを殺したあなたがたは「無知」であったので、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」 それは「あなたがた一人一人を悪から離れさせ、祝福にあずからせる」ためである。この弟子たち(初代教会)のミッションは 「今の時」から「万物が新しくなる時」までの中間の時代になされる。 私たちはこの「中間の時」に派遣され、「立ち帰り」先を証する宣教に生きる群れである。 「み言(礼拝)」に立ち帰り、そこから、また出てゆくという繰り返される歩み。 この歩みにおいて「命の導き手」が誰かを示され、その方を証する。