「信じることに しがみつけますか」

マタイによる福音書15:21~28

 本日の聖書箇所、カナンの女の信仰では、イエスの宣教の基本は、15:24で、イエスは「イスラエルの失われた羊のところにしか遣わされていない」と言われたのです。イエスが、ガリラヤを出てティルスとシドンと言う地方に行かれた時のこと。そこに、一人の女が大声をあげ、叫んで近づいてきた。見るとカナン人の女でした。
カナンは、神の民がエジプトを脱出した時、神様に導かれていった約束の地に住んでいた土地の人でした。神の民に敵対する異教徒であり、偶像礼拝に向かうカナン人の子孫の女であったのです。
にもかかわらず、イエスのうわさを聞いて、悪霊にとりつかれた娘のために、癒しを求めてイエスの足元にひれ伏してきたのである。
 しかし、イエスは、答えませんでした。イエスの行動を知る弟子たちは、困惑してしまうのです。かつて見たことのないような、冷たいイエスの態度を見ることになります。この悩める女の願いを、イエスは3回も断るのでした。女は娘と自殺するしかないのでしょうか?
しかし、15:27をみると、女は、「ごもっともですが、子犬さえ主人の食卓から落ちるパンくずは食べます。」と言います。つまり、女は、神とキリストから恵みを頂く資格などないのはわかっています。
これは、実は、私たちの真実の姿でもあります。しかし、かわいい子犬が、食卓から零れ落ちる物を食べても、叱ることはないでしょう。むしろ、喜んで、子犬のために落とすでしょう。
女は、何を言いたかったのか?
 主イエスの食卓には恵みがあふれているのです。あふれ落ちていると思っていました。15:28ではあなたの信仰は立派だとイエスは言われた。
女は、憐れんでください。助けてください。叫び、祈り続けていたのです。その時、娘の病気はいやされたのです。
 本日の聖書テキストから、私たちが、憐れんでください、助けてくださいと叫び、祈り続けることで、神とキリストから、必ず、私たちの所に、私たちの家庭に、私たちの教会に、恵みが、流れ込んでくるのです。
(神学生・佐藤 孝浩)